第十話 D社

D社に入る時点では、かなり薬の量も減っていて、
入社前健康診断でも問題なしと判断されるレベルになり、
D社での生活が始まりました。
(もちろん治療中の疾患などの項目は”なし”と答えてます)
 
入社前はC社と社風も近そうだし、
今度はマネージャーのポジションだからプロジェクトも自分で回して
ゴリゴリやっちゃうぜー。
と結構意気込んだ感じでした。
 
が、入社後、社風は前職とは全く違うということを知りました。
 
外見だけだと、社交的で明るい気さくな子 が、
実際よく知っていくと 粘着質でオタク気質な子 だったみたいな…?
 
とにかく、面接のときに感じたような前職と似た雰囲気は全然なくて、
一日目から
 
「あちゃー。やっちまったか、これ。」
 
と感じてました。。。
 
とはいえ、ポジションとしては前職よりやりやすくなっているのは確かなので、
しばらくはがんばってみよう!と思い日々過ごしてました。
 
1年たち、2年たち、
一日目に感じた違和感のようなものは薄れることはありませんでしたが、
社内のいろんなひとと仕事を進めるうちに、
仲のいいひとたちもでき、取引先とも親しくなり、
人間関係的にはとても恵まれた環境で仕事をすすめることができました。
 
結果、とても楽しい日々を過ごすことができました。
 
最終的には心療内科に行かなくても平気なところまで治り、
今にいたるまでぶり返していません!!
 
違和感を感じつつも、今思えば自分にとてもあった職場だったのかもしれないですね。
 
でも、自分の中で一日目に生まれた違和感は消えることはなく、
4年目あたりからいろんな転職エージェントに登録して、
ぽつぽつといろんな会社へレジュメを送り始めました。

第九話 うつ

あるとき、組織変更がありました。

それまでも上司はなんだかあまり好きじゃないおっちゃんだったのですが、
上司のおっちゃんとの間に別のマネージャーたち(女性)が入って、
その人たちが私に指示を出して動く、というような形に変わったのです。
 
それまでは大きなプロジェクトではないながらも
比較的自由に進めることができていたものが、
そのときから彼女たちのお伺いを立てないことには
何も進められなくなってしまったのです。
 
これはとてつもないストレスでした。
 
ある日、はっきりと
「あなたは私の言う通りに動いていればいい」
「あなたと私は立場が違うから」
と言われました。
 
あー、そっかー、私いらないかー。
 
もちろんそうは言ってないんです、
でもうつ病になったことある方ならわかると思いますけど、
勝手に変換しちゃいますよね????
 
会社に行けなくなりました。
 
ベッドから動けなくなりました。
 
目の前にあるペットボトルの水すら取れなくなりました。
 
真っ暗で、誰にも会いたくなくて、何もできなくなりました。
 
社内にすごく仲のいい方がいて、その人が昔なんか似たようなことを言ってたなーと思い相談したところすぐに心療内科に行くことを進められて、休職することにしました。
 
ベッドから動けない、たまに外出するのは病院だけ。
 
寝たいのに眠れない。寝てもすぐに目が覚める。
 
主な症状は抑うつ状態と睡眠障害でした。
 
病院から処方される薬と、
休職して仕事から離れることで少しずつ状態は良くなっていきましたが、
もうC社に戻ることは考えられませんでした。
 
あんなに楽しかったのに、あんなにやりがい感じてたのに。
 
悲しかったです。
 
病状がだいぶ回復してきたとき、D社の求人を見つけ応募、
無事採用いただいてD社への転職を決めました。

第八話 C社

陶芸の師匠のもとに弟子が集う工房のようなところで、
何を求められているのかよくわからないまま、
運よくお声をかけていただきたどり着いたC社。
 
もちろんB社在籍中から何度も来ているし、一緒に仕事をしている方もよく知っているかたが多かったのでとてもスムーズに仕事に入っていくことができました。
 
ちなみに最初はいきなりヘッドカウント増やせないってことで
派遣社員として入りました。
思えば当時からこだわりなかったなー。
 
会社としてのMissionがとてもクリアで、共感できるものだったし、
社員もみんなそれを理解してロジカルに正しいことをやろうとする。
だから、議論になることもあるけど、
ちゃんと建設的に前に進めようとする姿勢はいっしょ。
 
今までのキャリアで一番充実していたなーと感じるのが、このC社にいた5年間です。
 
年収もあがったし、やりがいも感じられる素晴らしいお仕事でした。
 
キャリアアップを目指すには専門の学士を取る必要があるとわかって、
2個目の大学も仕事をしながら通信で勉強しつづけ、学士も取りました。
 
所属部署の偉い人が、まだ派遣だったときに
「君みたいなひとはすぐに社員にすべき!」
と動いてくれ、無事正社員にもなり。
 
本当に充実していました、
あのときまでは…。

彼ママへの手土産

これまた皆様のお役に立てばと思い。

 

今までに付き合った彼氏のお母様に会ったことは一度だけあるのですが、

 

そのときは前触れもなくいきなり食事に誘われて、食事をご一緒し、もちろん手土産などは用意できず。まあ、それなりに楽しい時を過ごしました。

 

そして後に当時の彼氏からお母様が言っていたと聞かされた言葉が…

 

気が利かない子ね。

 

気が利かない子ね。

 

気が利かない子ね。

 

 

 

えええ…………。(;´-`)

 

 

まあ、大学の頃でしたし、もう別れたし、いいんですけど…。

 

そんなことがあったので彼ママというのは軽くトラウマなのですが。

 

 

あれから10年近くの時を経て、

また彼ママに会うときがやって参りました。

 

もうあのようなミスを繰り返すわけには参りません。

 

今回は実家にご招待されたのではなく、

私たちのホームにお母様がご旅行でいらっしゃるとのことで夕食のみご一緒することに。

 

なので、手土産には日持ちするもの、かつ軽くてかさ張らないという条件が追加。

 

定番は、クッキーなど焼き菓子。

 

甘いもの好きじゃないかも……

 

!!!

 

めっちゃいいこと考えた!!!

紅茶かお茶は!??

 

軽いし、お茶嫌いな人そうそういないし。

 

ナイスうぅぅぅーーーー!!

 

と思ったのですが、念のためGoogle師匠にお伺いしてみたところ……

 

お茶には「お茶を濁す」という言葉があるので初対面の方への手土産には向きません

 

お茶を手土産に渡すということは「あなたのお宅のお茶は不味くていただけません」という意味になります

 

えええええΣ(Д゚;/)/

 

やっぱ焼き菓子?

 

もうさー……、気にしすぎだろ日本人!

 

もう少し悩みます。

誰かのお役に立てれば幸いです。

 

 

第七話 B社

職業訓練も後半に差し掛かってくると、
終わった後の仕事について考えなければいけません。
 
どうしようかなーなんて、転職サイトを見ていると、
 
B社の求人を発見。
 
うちから通いやすく、前から興味があったカテゴリーの仕事。
かつクライアントの関係で英語も必要。
 
面接に行くと、小さいながらキレイなオフィス、ひとのよさそうな上司で、
採用されてすぐに決めました。
 
私の仕事はそこにいる職人たちのスケジュール管理、
クライアントの調整など営業業務。
 
そう。私は職人ではない。
 
しかし、そこは職人が師匠のもとで学ばせていただく、
というスタンス満点の職場…いや工房!?
 
まるで伝統工芸の職人の工場のような。陶芸とか…全然ちがうのに。
 
毎朝、下っ端職人たちは一番に師匠のもとへ行き挨拶。
 
残業なんていう考え方はなく、
師匠にOKがもらえるものを作れるまでがその日の仕事。
 
年間カレンダーなんて考え方はなくて、
仕事が終わった次の日からが年末年始休暇。
実家に帰る予定すら立てられない。
 
私ですら半年くらいしかいなかったのですが、
その間にメンタルを病んで辞める人、来た日の翌日から二度と現れない人、
いっぱい見てきました。
 
それでも半年続けられた理由は、担当クライアントがとても理解のある、
仕事のやりやすい方々だったからです。
 
繰り返しますが、私は職人ではありません。
 
だから、営業の仕事が終われば私にできることはなく、普通に帰っていました。
それでも早くて21時とか、遅ければもちろん終電。
 
ある日、師匠とNo.2からお呼び出し。
「お前は周りの人がまだ仕事をしているのになんで帰るんだ」と。
 
「私の仕事は営業で、自分の仕事が終わって定時も過ぎているのに、
帰るのに理由が必要ですか」
「なにより、私は職人ではありません。営業が担当です。そのために雇われています。」
 
この件がきっかけで、私は完全に社内で孤立。
 
仲の良かった若手職人も、どんどん離れていき。
(おそらく師匠連中の影響)
 
担当クライアントとの関係がとてもよかっただけに、複雑な心境ではあったけど、
少なくともこの会社において社会人としてのキャリアを考えたときに学ぶことはない、と感じ退職することに。
 
本当に幸運なことに、当時の担当クライアントC社から、よければうちへ来てほしいとお声をかけていただき、C社へ移ることになりました。
 
私にとっては、とんでもない会社だったけど、
C社との出会いがあったのはB社のおかげなので、その点は感謝です。

スピンオフ 修羅場

話はさかのぼることA社へ。

当時、A社の別所属の方とお付き合いしていました。(Pとします)
社内ではもちろん内緒にはしていました。
 
ただ、遊びたいざかりの20代。
お互い放任主義ということもあり、
別の10歳も年上のQという人(社外)とも付き合っていました。
これももちろん誰にも内緒。
 
(この時点で二股)
 
ただ、このQ。
付き合うまでは普通の話の合う楽しいひとだと思っていたら、
付き合ってみたら自分勝手だし、いろいろ生理的に無理な部分が見えてきて。
 
もう別れたいなーと思っていた頃。
 
職業訓練で出会ったRから告白され。
何も考えず、まっいいや、くらいな感じで付き合い始め。
これは学校では周知の事実になってしまい。
 
(この時点で三股)
 
しかも、このRがとってもめんどくさいひとで、いいように言うととっても情熱的。
わかりやすく言うととてもうざい。
そんなこと付き合ってみなきゃわからなかったので、
こりゃヤバイやつと付き合ってしまったな、と。

わりと早めの段階で早く別れないとまずいことになるなーと思っていました。
 
まあ、PQRともに接点はまったくないので問題ないわーと思っていたら。。。
 
ある日の授業後、
Rとカフェでお茶していたところ、
 
窓際通り過ぎるQ
 
まじかよ。
 
こっち向くな、向くな…
 
気づかれた。
 
終わった…。
しかも店入ってくるし。
 
ああ、これがうわさの修羅場という…。
 
声上ずりながら「こちら学校おなじRさん」「こちら前職で知り合いのQさん」
みたいな紹介を一応行い。
 
お互い「どうも」
 
うーーーわーーーー殺してくれ…。
 
その後、Qはすぐに立ち去り。
 
完全に動悸がおかしくなっていたので、Rともすぐに解散し、
とにかく一刻も早くおうちに帰りたかったので駅に向かうと…
 
駅でQが待ちぶせ!!!!!
 
うそでしょ…。
 
その場でなんとかかんとかうやむや乗り切り、おうちに帰ったのですが、
この出来事をきっかけにQRとは早急に別れようと心に決めました。
 
後日談ですが。
 
相手に暴言吐くとか、そんなことなにもせず、穏便に別れをお伝えしたはずが、
Rからは大量の恨みつらみメールおよび学校でのあからさまな態度の変化。
(子供かよ!)
あげく共通の知り合いに何を吹き込んだか、学校で私若干孤立。
 
Qに至っては、大量のメール・着信全部無視していたところ自宅で待ち伏せされ、
次の日仕事なのにそこから話し合い(いや、私が諭す、相手泣くの繰り返し)は早朝まで続き、朝になってやっとご自宅に帰っていただけました。
 
悪いことはするものじゃない、
心の底からそう思えた大事な経験でした。
 
ちなみに、Pとは今現在も仲良く過ごしています。
 
きっと当時Pはなんらか感じてたと思います。
それでも知らんぷりして、一緒にいてくれた。
 
やっぱり考え方が合うって大事…。
 
そしてP、神。大事にします。

第六話 職業訓練

このブログを読んでいただいている方の中で、職業訓練に参加したことのある方ってどれくらいいらっしゃるのかしら。

わたしも自分がハローワークに行くまで、
そんなものの存在まったく知りませんでした。
 
詳しくは偉大なるGoogle先生にお尋ねください。
 
私の経験だけ申し上げると、選択した語学系のコースに関しては、申込時に、
‐なぜこのコースを受講したいの?
‐このコースで学びたいことは?
‐このコースの受講を活かしてどんな職業に就きたいの?
みたいなことをアンケート用紙のようなものに
つらつらと想いを書いて提出→書類選考→合格→受講開始
という流れで進んでいきました。
 
たしか、申込をしてから受講開始まで1か月程度だったかと思います。
 
そして迎えた初日。
 
会場は古い雑居ビルの中にある語学学校。
おいおい大丈夫かよ?
と思いながら登校すると、
案内されたのは15名ほどしか入らない小さな会議室にような場所。
この会議室で3か月過ごします。
 
入ると見るからに自分が一番若く、30代~50代くらいまでと幅広い参加者。
この時はまったくわからなかったのですが、この15名。
どの方もまーーーーーーーそれなりの曲者。
 
もう10年以上前のことなので、詳しくは記憶していないのですが、くせのつよいおばちゃん12名、20~30代男性2名、20代女性 1名(私)みたいな感じでした。
 
記憶にあるのは初日の一番最初にやったのは二人ずつペアになって、
相手のことを英語で紹介すること。
ぱっと見若そうな兄ちゃんとペアになったのですが、
その方も当時の私よりはだいぶ年上。
 
あとからいろんなひとに聞いていくと、ハローワークに行きついたひとのみがたどりつく学校だけあって波乱万丈人生。
 
自分もその場にいるので何も言えませんが、普通の会社に普通に勤める、ことになんらか困難のある人材がそろっていました。
家庭の事情、自身の病気、などなど。
 
当時は、みんな大変だなー。と軽く他人事のように余裕ぶっかましていましたが、
今の自分の人生振り返ると、あの場にいる資格はきっちりあったと思います。
 
確か3か月間程度の受講期間だったのですが、
どういう理由だか忘れましたが、受講期間後半に仲良くしていた方と講師が授業中にガッツリ喧嘩をして、なんだかすごい険悪な雰囲気で修了式を迎えた記憶が。
 
なぜたかが語学学校に3か月いるだけでそんなことになるのか。
いま思ってもなぞです。
 
しかも、若さゆえの過ち。
完全に改心するきっかけとなる男性がらみ事件まで起きました。
 
これはキャリアのお話とは関係ないのですが、よろしければ読んでください。